東京レインボープライド2023

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ヤマハ株式会社

Yamaha Corporation

音・音楽のパワー

ヤマハは、音・音楽には、人々に大きな影響をもたらす力があると確信しています。

ありのままの自分を表出し、自分と向き合うことで成長する。言葉では伝えられない想いも音に乗せ、人々と心が通じ合う。音・音楽は、そうしたかけがえのない心震える瞬間を可能にしてくれます。

私たちがアメリカとイギリスで行ったアーティストたちへのインタビューは、LGBTQ+当事者であるミュージシャンにとって、こうした音楽の持つ力やその意味を明らかにしています。同時に、アーティストたちの物語は音楽業界の多様性に光を当て、ポジティブな変化を起こすために私たちに何ができるのかを考えさせてくれるものです。

ヤマハは、これからも、LGBTQ+コミュニティのアーティスト、プロデューサー、サウンドエンジニア、お客様、従業員、そしてすべての人をサポートし、自ら一歩踏み出そうとする人々の勇気や情熱を後押しし続けます。

強化された表現力:Adam Tendlerとの対談

ヤマハ・コーポレーション・オブ・アメリカ

プライド月間に向けて、ヤマハアーティストAdam Tendlerが、自身のこれまでのキャリアとカミングアウトについて語ってくれました。

Adam Tendlerは、常に自分自身に挑戦することを大切にしてきました。クラシック・ピアノを学んでいた青年期から、成人となった今も野心的な目標を持ち続けています。彼は墓地やチャペル、公園など、人々にそれとなく音楽を広められる場所でのパフォーマンスによって全米で有名になり、現代クラシック音楽というジャンルを大衆に広め、よりメインストリームに受け入れられようとする精力的な活動でも知られています。彼は、全米50州で演奏するという果敢なミッションに着手するところからキャリアをスタートさせ(個人的かつプロフェッショナルな冒険は、著書『88 by 50』で詳述)、現在はモダン・クラシックのトップ・アーティストやそれ以外のジャンルのアーティストとコラボレーションして、この複雑な音楽形態を初めて聴く人に紹介することに取り組んでいます。

Adamはヤマハとの対談で、今日の自分への挑戦をどう続けているのかについて、プロフェッショナルとして、また個人として、音楽を通じて自身の感情を表現することについて語ってくれました。

非日常的でユニークな空間

「私はいつも、非日常、あるいはユニークな空間でプログラムを提供することに惹かれてきたのだと思います」とAdamは語ります。「ときには、必要にかられたとか、ただそのとき、取り組まなければならなかったことだからとか、ピアノを置けたから、というのが理由です」

グリーンウッド墓地のカタコンベでリストを演奏すること(ニューヨーク、ブルックリン)は、本当に何が起こるかもわからない、壮大な実験でもありました。それはとても長くて集中的なプログラムでしたし、私たちは地下墓地で本当に魂に囲まれていたからです。死者たちの中にいて、とてもスピリチュアルでした」と彼は思い返します。

「そして、最後の瞬間まで、本当にどうなるのか、たとえうまく事が運んでいたとしても、わかりませんでした。しかし、私は、あの音楽があの空間でどう作用するのか、本当に見てみたかったのです。私は、ものすごくすてきで、力強いものになると確信していました。そして、あの真の凄みと溢れる力の組み合わせが、非日常的な空間において、私がさまざまなプログラムを演奏するための指針となりました。地下墓地でもナイトクラブでも、ギャラリーなどでもです。音楽を標準的なコンサートホールから外に持ち出し、新しい場所に据えたとき、その音楽は別の方法でひらめき、アクティベートされ、より広範なリスナー層に届くようになります。それが私の常々の目標でもあるのです」

88 By 50ツアー

88 by 50ツアーは、ピアノ・コンサートを50州すべてで開催するという、Adamが大学卒業直後に着手した大規模なプロジェクトでした。達成までに約1年を要しました。

「つまり、あれは演奏の仕方を自分自身に教えようとする手段だったのです」と、彼はこのプロジェクトの原点を振り返ります。「ステージは、私が必要としていた教室のようなものだとすごく感じました。演奏家になりたいなら、もっとたくさん舞台を踏む必要があると。音楽学校を卒業する頃、私は演奏家としては、神経質で使い物にならなかったですから」

「ステージに立つ時間をできるだけ増やしたいと思っていました。いつもと違う場所に自分を置いてみたかった。私は現代音楽を演奏したかった。そして最終的には、この問題があったわけです。私は今の自分に居心地の悪さを感じている。もしかしたら、この50州の試練が終わる頃には、勇気を出してカミングアウトできるかもしれない」

「誰もが、うまくいかなくても大丈夫だよと、私に前もって言い聞かせてくれていました。『10回やれば、それでも十分じゃないか』って」彼は思い出しながら語ります。「本当に、私はこれをやりたいんだ、と気持ちでは思っていても、何も計画がありませんでした。建設現場で働き、ピアノ教室で教えて、稼いだお金は全部貯金していました。ツアーはまさに草の根のような状態。行く先々で、予約してはライブをする。検索して会場を探し、電話をかけて、誰かOKしてくれる人を見つけるのです」

「しかし、カミングアウトの軌跡でもあったんです。ある司会者に『君は自分の秘密を隠して、殻に閉じこもっているね』と言われたのが最初で、ツアーの途中で誰かと恋に落ちたり、今の恋人関係を始めたりしたのです」

50州を達成したとき、1年の歳月が流れていましたが、彼の考えでは、まだ本当にはキャリアを積んでいない状態でした。「全国的な知名度があるかどうかはわかりませんでしたし、まだ、自分自身を隠していました」と彼は振り返ります。「しかし、おもしろいことに、私はかなり自分が変わったと感じていました。このプロジェクトが終わったとき、私が本当に得たものは自分自身だったことに気づいたのです」

「それは、つまり、自分が何者であるか、正直になることを始める必要があるということでした。私は演奏家としての自分を発見しました。つまり、演奏家としてカミングアウトしたのです。やっと人に言えたような気がしました。私はピアニストなんだ、と。そして、私が必要とした最後のこと、それは自分のセクシュアル・アイデンティティーについて居心地よく感じることを学ぶことでした。今日に至るまで、私は葛藤しながら、こうした思考を巡らしています。私が誰を愛しているかということが、そんなに大きな問題なのだろうか?そんなものは関係ないのでは?しかし同時に、自分自身のパワフルで深い部分、つまり私の音楽制作の燃料となる部分を隠さなければならないのは、とても苦しいことでした」

要塞と器

2代続くピアニストの家系である音楽一家に生まれたAdamは、幼い頃にピアノの指導を受けていましたが、高校生になってはじめて、ピアノの技を磨くために長く時間を費やし始めるようになりました。そうすることで、クラスメートによるいじめの苦しみから、逃れようとしていたこともありました。

「初めてピアノを弾いたのは6歳半のときです」と彼は言います。「故郷のバーモント州には、ピアノの先生が2人いました。1人は私の祖父で、もう1人はそのライバルでした。私の母は、私が想像もつかない大胆さで、あえてその競争相手の方に私を委ねました。祖父が母を許したのかどうか私は知りません!」

「(高校時代に)ショパンやラフマニノフの音楽に出会い始めたとき、何か閃きのようなものを得ました。これは実はゲイであることと関係があるんです。私は幼い頃、自分の声や振る舞いを理由によくいじめられました。私はゲイであるがゆえに、言葉は悪いですが、『非難』されていたのです。実際ゲイであることの意味を私が理解したのはその後です。みんなが何を言っているのか、さっぱりわからなかった」と笑いながら彼は振り返ります。「でも、彼らが私をからかったり、そのことでいじめたりしているのはわかりました」

幸いなことに、Adamは、安全なやり方でピアノを使って自分を表現できることに気づき始めました。「ピアノを弾くと、どういうわけか、私の周りに要塞ができるんです。それは私を守ってくれる要塞であると同時に、いじめから逃れるための入れ物でもあったのです」

音楽の影響

現代アメリカのクラシック音楽界には、さまざまなバックグラウンドを持つ人々がいます。Aaron CoplandやJohn Cageなど、当時の常識からは受け入れられないような性的アイデンティティーをひた隠していた作曲家なども含まれます。これらの作曲家の不協和音の音楽は、Adamの思春期の気持ちを反映しています。現在、Adamは彼らの作品を多く演奏に取り入れています。

「CopelandやCage、Robert Palmersのような作曲家に、私は個人的なレベルで共鳴することができるのです。たとえ彼らが自分のアイデンティティーの一部を音楽の前面に出していなかったとしても、彼らの性的アイデンティティーのおかげで」と、彼は説明します。「実は、キャリアの大半において、私もそうしてきました。50州のツアーを回っているときにも、私は、まだ自分を隠していたのです。ツアーがそれを解決してくれるだろう、何とか勇気を出してカミングアウトできるだろうと思っていたのですが、実際には、始終葛藤の中にありました」

「私は現代音楽の剝き出しの不協和音のエネルギーが好きなんです」と彼は言います。「不協和音を書くという決断、それをページに託し、演奏者が互いに擦れ違う音を弾かなければならないという決断には、賞賛するものがありました。私は、自分が置かれた環境に対して不協和音を奏でているように感じていました。つまり、自分の居場所がないような感じです。それが、あの音楽に惹かれるようになった大きな理由だと思います。あの音楽こそ、私が実際に抵抗し、反抗できる唯一の方法だと感じたからです」

LGBTQ+の若者へのアドバイス

「若い人たちには『待たないで』と伝えたいです。私がそうだったように20代半ばから後半まで待つ必要はありません。今の若い人たちは自分が何者であるかを受け入れ、正直になることができるでしょう。私が直面していると思っていた個人的なリスクは、頭の中で作り上げられたものでした。でも真実はこうです。その正直でいられる陰には、カミングアウトする若者を祝福してくれる、他のゲイの人たちのコミュニティーや家族がいるのです」

「すべての文化でも、世界のあらゆるところにも、あらゆるコミュニティーでも、自分たちを支えてくれる素晴らしい人たちがたくさんいるのだから、周りの人たちを過小評価しないようにすべきです。私は実は周りの人のことをそう見てしまったのです。拒絶され、見捨てられると思ったのですが、そうではありませんでした。私は完全に受け入れられたのです」

「すべての人に当てはまるわけではないかもしれませんが、自分が何者であるかをカミングアウトする正直さ、誠実さ、勇気は、周囲の人たちから賞賛されるでしょう」

伝統主義を越えるパイオニア:新世代のマリンビストたち

ヤマハ・ミュージック・ヨーロッパ

Calum HugganとLe Yuとの対談(インタビュー:Andrew Pasquier、撮影:Rachel Israela、Fede Reyes)

Calum HugganLe Yuは、クラシック音楽家として個性を発揮した目覚ましい活躍をしています。英国を拠点とする2人のソロ・マリンビスト(ともにヤマハアーティスト)は、伝統主義を越えて観客とのつながりを好み、ステージ上で自分たちのアイデンティティーを表現する、新世代を代表するミュージシャンです。パーカッションのエキスパートである2人は、ステージを通して、自分たちの楽器とクラシック音楽の魅力を広く届けたいと願っています。

「私は、観客が音楽家の人となりや目指すものを理解できることが非常に大切だと思います」ロンドンのCampbell Studiosで、Le Yuはこう説明します。「クラシックの音楽家は、とても真面目で蝶ネクタイ姿…しかし、それだけではなく、人間であることを理解してほしいと思います。私は買い物にも行くし、友人と食事にも行くし、ナイトクラブにだって行きます」中国出身で、10年半前にパーカッションを学びに渡英したLe Yuは、自身のソーシャル・メディア・チャンネルやツアーで、この信条を披露し、人々を魅了しています。ファッション好きを自認するLe Yuは、Central Saint Martinsのデザイナーと組み、Le Yuのレパートリーからインスピレーションを得たという特別にデザインされた服を身にまとい、直近の中国ツアーを飾りました。『リベルタンゴ』は、アルゼンチン出身の作曲家Astor Piazzollaのドラマチックで滝のように流れる曲ですが、Le Yuはオフセットの蝶ネクタイと赤いシルクのシャツでステージに登場し、中国の伝統と華美さの両方を表現しました。「ファッションと音楽は、ポップミュージックではいつも結びついています。クラシックでもありですよね?」

スコットランド出身のHugganは受賞歴のあるマリンビストですが、舞台の上のクラシック音楽家と観客の間を隔てている障壁を取り払いたいと願いながら、ライブ・パフォーマンスの間、その個性を前面に押し出しています。彼のやり方は、観客を円形に座らせること、親しみやすい曲を演奏すること。そして最も大切にしていることは、自分の演奏について観客と直接対話することです。「私はアーティストとしてのブランドを築きたいと思っています。私は、私が何者なのかを人々に理解してもらいたいのです。それはとても大切なことです」とHugganは説明します。彼は普通のお辞儀のかわりに、曲の合間に観客に直接お礼を言い、自分自身やレパートリーについての逸話を披露します。昨年、Hugganはマリンバを使った新しいソロ作品を収録したデビュー・アルバム『American Music for Marimba』をスコットランドのレーベル、Delphian Recordsからリリースしました。マリンバは西洋のオーケストラや室内楽の伝統に比較的新しく加わった楽器です。ラテンアメリカやアフリカにルーツを持つと言われ、そのレパートリーは広がりを見せています。他の楽器奏者が形作ってきたような長い曲を作る歴史に捉えられることのないマリンバ奏者は、マレットを駆使して実験的なことができる自由度が高いのです。最新アルバムをリリースしたHugganは、多様性豊かなグループに属する現役の作曲家たちと対話する機会がありました。「音楽というものは、社会から疎外された人々がさまざまな思いを声に出し、感情を表に出す素晴らしい方法であり続けています。感情の多くは、不安や恐怖でしたが、希望でもあったのです」

リリースされたアルバムに収録されている新しい作品ではHugganの技術的スキルが存分に表現されています。一方、選曲により、クラシックという閉ざされた世界の外にクロスオーバーしていくマリンバの魅力が強調されています。ある批評家が「まるでColdplayのようだ」とコメントしたとき、Hugganはそれを皮肉なお世辞と受け取りました。「クラシックの観点からすれば、おそらく俗物なのでしょうが、私にとっては、何か良いことを成し遂げたということなのです。技術的な能力だけがとりあげられて、認められればよいというものではありません。演奏を通して何を語るかではないでしょうか?」

「性格的に、自分は自分であることを恐れない」

– Calum Huggan

クラシック音楽界で、多様性に対する欠如が問題であり続けていることは隠しようがない事実です。観客だけでなく音楽家の間でも同じことが言えます。HugganとLe Yuは、いわゆる性的マイノリティーであるというアイデンティティーの表現が、コンサートホールの舞台で、もっと歓迎されるような方向を目指す役割を担っています。「アーティストとして苦労してきました。マリンバでソロのキャリアを積む前は、フリーランスでイギリス中の多くのオーケストラで活動していましたが、自分がクィアのアーティストとして紹介されているのを見たことがありませんでしたから」とHugganは認めています。「そんなことはありえなかった。特に打楽器は、典型的にとても男性的で、シスジェンダー、ヘテロセクシュアルが多い分野ですからね」しかし、数カ月前、変化の兆しがありました。Hugganは初めて全員がクィアのパーカッション・セクションと共演しました。「それはとても特別なことで、叫びたくなるような瞬間でした。特にソーシャル・メディアのプラットフォームは大騒ぎでしたね」オーケストラ内の階層社会は、若い音楽家に問題を訴えることを躊躇させますが、Hugganは、声に出すことがクラシック音楽界に変化をもたらすと真剣に考えています。「性格的に、自分は自分であることを恐れないのです」

Le Yuが最初にパーカッションの道に進もうと思ったのは10代のときに、国営TV放送で中国の正月の祝賀イベントが放映され、そこに出演していた2人のドラマーを見たのがきっかけでした。すっかりマリンバに魅せられたLe Yuは英国の音楽学校へ留学しました。Le Yuは自分の力を強く意識しており、世界各国でのツアーを通じて、新世代のマリンバ奏者やクラシック音楽愛好家にひらめきを与えられると言います。中国とイギリスでの演奏の違いについて尋ねると、「欧米では一般の観客がかなりの年配であることが多く、若い世代はほとんど見かけません!」と指摘します。こうした年配の観客たちは知識と期待を携えて聞きに来てくれるが、中国の若い観客は「音楽を聴くために本当にオープンな気持ちで来てくれる」のだそうです。2021年に行われた最新のツアーで、Le Yuはいかに中国で「多くの人が今カミングアウトしつつある」ことを目にしたかを語ります。「ゲイ・バーもあるし、何だってある。つまり、何も不安に感じたり、怖がる必要はないみたい」彼は、ツアーでの自分の自信に満ちた存在感が、新しい世代のミュージシャンたちに、見られることは居心地がいいのだと感じてもらえることを願っています。「中国には、私と同じようなパーカッショニストが大勢いますが、みんなカミングアウトするのを心配し、恐れているのです。私がそこにいることで、メッセージになると私は思うのです」

パーカッションのセクションはオーケストラの中で男性の砦と見られがちですが、HugganもLe Yuも、マリンバは意外なことに、パイオニア的な例外なのだと主張します。マリンバの女王と呼ばれる85歳の安倍圭子は、20世紀半ばにヤマハと共同で現代の5オクターブのコンサートマリンバを開発し、マリンバのデザインと演奏技術に革命をもたらしました。その後、マリンバのソロ・アーティストの先駆者として登場したのが、同じく女性のEvelyn Glennieでした。幼い頃から耳が聞こえなかったGlennieは、振動を感じることで10年にわたる華々しいキャリアを築き、グラミー賞を3度受賞し、2012年ロンドンオリンピックの開会式で演奏したこともありました。「人々は、おそらく、シンバルを持つには男性である必要があるとでも思っているのですよ」とLe Yuは笑います。「でも、違いますよね!これは認識と現実の違いです。パーカッションは誰でも演奏できるのだと私は思いますよ」

「私は演奏するとき、アーティストであることを第一に考えています。次に、ミュージシャンであること。つまり演奏している楽器ではなく、観客に対して演奏している音楽について考えます。そして最後に考えるのがパーカッショニストとしての技術的なスキルです」

– Le Yu

ふたりの素晴らしい演奏活動にもかかわらず、マリンバの絶妙な技は一般の観客やクラシック音楽を学んだ数多のリスナーの間でさえも、まだほとんど知られていません。この2つの課題について、Le Yuは、観客の期待に応えるというより、観客とのつながりを重視することが必要だと強調します。「私は演奏するとき、アーティストであることを第一に考えています。次に、ミュージシャンであること。つまり演奏している楽器ではなく、観客に対して演奏している音楽について考えます。そして最後に考えるのがパーカッショニストとしての技術的なスキルです」クラシック音楽が21世紀にふさわしい、新しい形で響き渡るためには、このジャンルの規範に疑問を投げかけることが重要だと、2人のアーティストは考えています。Le YuとHugganのパーカッションへの楽観的で個人的なアプローチは、コミュニティーと会話を拡大するためのひとつの刺激的な方法を提示しています。

文:

Andrew Pasquierは、芸術、音楽、建築に関心があるLGBTQ+コミュニティー出身のフリーランス・ジャーナリスト。10年以上にわたり、ヤマハのフレンチホルンを演奏。

 

■ アーティストについての詳しい情報は、以下をご参照ください(英語)

Adam Tendler 

Calum Huggan

Le Yu       

■ ヤマハについての詳しい情報は、以下をご参照ください

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