LGBTQ+イシューに取り組んできた先駆け
日本IBMに聞いた、これまでの20年、そしてこれから目指すもの

日本IBMと言えば、常にLGBTQ+ムーブメントをリードしてきた存在。そのあり方に多くの人は外資系企業ならではのスマートさを感じているかもしれない。しかし、20年にわたる取り組みは、決して平坦な道ではなかった。日本IBMにてダイバーシティー&インクルージョンに長年取り組んできた、CDO(チーフ・ダイバーシティー・オフィサー)の福地 敏行さんと、ダイバーシティー&インクルージョン推進部長の川田 篤さんに、これまでの苦労と、これからの取り組みについて聞いた。

CDO(チーフ・ダイバーシティー・オフィサー)、特別顧問 福地 敏行さん(写真・右)
人事 ダイバーシティー&インクルージョン推進部長 川田 篤さん(写真・左)

聞き手・文/宇田川 しい


取り組みを始めて20
TRPへの初参加から10年の節目

――日本IBMは、企業のLGBTQ+に関する取り組みのフロントランナーとして、常に走ってきた感があります。

川田 篤さん(以下、川田) LGBTQ+に関する日本IBMの取り組みが始まったのはちょうど20年前、2003年のことでした。1人の当事者が人事にコンタクトしたのがきっかけです。

――その当事者というのは、もしかして……?

川田 実は私なんです。当時、私のレポートラインだった米国の上司が米国IBMでLGBTQ+の活動をしていて、一方的に私だけが、その上司のセクシュアリティや携わる活動を知っているというのが、何だかフェアではない気がして、カミングアウトをしました。それから、私も米国IBMのLGBTQ+コミュニティの会議に参加するようになったんですが、そのことが日本IBMの人事にも伝わって接点を持ったんです。翌年には、取締役がLGBTQ+のエグゼグティブ・スポンサーに任命されて、この活動に会社としてサポートしていく体制ができました。

――一気に会社全体の動きになったんですね。

川田 とはいえ、当時はまだアライという概念もなく、全社でカミングアウトしている当事者も私1人でした。2006年に、他の当事者も出てきてコミュニティとしての活動ができるようになったのです。2012年からは、プライドマンスで全社員向けのセミナーを実施したり、福利厚生の整備をし始めました。そして2013年に、初めてTRPに参加しました。ですから、今年は日本IBMがLGBTQ+の取り組みを始めて20年、TRPに参加して10年という節目なんです。

セーフティスペースを作る苦労
ひとけの少ないフロアでミーティング

――元はと言えば、川田さんが勇気を出してカミングアウトしたことがきっかけで始まった活動が少しずつ育っていった、その間、どのような苦労がありましたか?

川田 当時は、今よりもさらに差別や偏見があるために、表に出ることが非常に難しかった。そこが活動の大きな悩みでしたし、チャレンジでした。社内で当事者コミュニティが立ち上がったときも、他の人に知られないためにセーフティスペースを作ることに苦心しました。初めの頃はセミナーをやるにしても、あまり人が訪れないようなフロアの会議室を確保したり、匿名の電話会議をしたり、まるで秘密結社のようでした(笑)。

――IBMは外資系ですし、LGBTQ+の問題については先駆けですから、すんなり取り組みが始まったのかと思っていたのですが、そうではなかったのですね。

川田 そうですね。コミュニティのおかげで会社が安全な環境だと思えるようになるに従って、当事者が所属部門に対してカミングアウトできるようになり、さらに当事者がコミュニティに参加しなくても安全だと思えるようにもなった。現在、活動の主体が当事者からアライにかわってきていると言えるかもしれません。社内のアライの多くは“誰もが誰かのアライになれる”という発想のもとに活動に参加しています。昔のように、当事者自らが声を上げて活動しなければいけないという状態ではなくなりました。

次のステージを目指した活動を

――全社的にLGBTQ+についての認知が浸透したのですね。

川田 以前と比べると課題は解消できたとは言えそうです。しかし、当事者同士でミーティングをすると新たな課題も見えてきます。例えば、社員の中に、海外で結婚をして、将来子どもを持ちたいというメンバーがいますが、日本では同性婚が認められていないために大きなハードルとなっている。会社に対して、日本でも同性婚が実現できるようにもっと社会に対して発信してほしいという声も上がっています。当事者が会社に対して理解を求めるというような段階からは変わってきました。私たちも、次なるステージを目指さなければいけないと思っています。

――活動がアライ中心となり、次のステージを目指すということですが、昨年からCDO(チーフ・ダイバーシティー・オフィサー)という役職が設けられ、これに就任したのが福地さんですね。

福地 敏行さん(以下、福地) 日本IBMのダイバーシティー推進グループは、当事者とアライがともにボランティアでコミュニティを作っていることが大きな特徴です。いわば自主性に依存していました。活動を長期的に継続していくためには、企業側も姿勢を表明する必要があります。そのために、CDOというポジションが作られたわけです。もともと私は、エグゼクティブ・スポンサーの2代目に任命されて活動していましたが、CDOに就任して、単にコミュニティをサポートするだけでなく、メンバーともっと深く、濃く繋がっていると感じています。活動を通じて、仕事を越えて会社では言えないようなことも、オープンに話ができるようになりました。

――活動を通じて、印象に残っているエピソードはありますか?

福地 お恥ずかしい話なんですが、スポンサーに就く2016年までは、私もLGBTQ+当事者が身近にいるという実感は殆どなかったんです。コミュニティの皆さんに話を聞いて、初めて知ることがたくさんありました。メンバーが新宿二丁目に連れて行ってくれたのも良い経験です。みんなでワイワイ楽しく飲んでいて、“日常の延長にあって、別に特別な場所じゃないんだ”と感じました。そうして得た私見や知見を社内外で発信するようにしています。例えばお客様のトップとの会談やイベントなどでダイバーシティーの話をする際には、女性活躍にとどまらずLGBTQ+についても触れる、社内でも役員・社員に折りに触れてシェアしてアライ宣言してもらうなど、発信の頻度を増やすようにしています。

アメリカ、ヨーロッパ、アジア
それぞれの状況を参照しあうことが力に

――IBMの場合、日本より先行してアメリカなど海外拠点での取り組みもあったと思います。そういった先行する取り組みを日本に取り入れる際に、苦労はありましたか?

福地 2015年に日本IBMでパートナー登録制度が誕生しましたが、米国IBMでは、すでに1995年に開始していたんです。同じIBMの中でも20年というタイムギャップがあった。これは企業というより、社会環境の違いでもあったと思うんです。

川田 アメリカの取り組みは、確かに参考になります。ただ、日本で同じように実行するのが適切かどうかは常に考えています。制度を作っても社内の風土や環境が整っていなかったら、それは根付かないでしょう。同じIBMグループでも、アメリカ、アジア、ヨーロッパではフェーズが違いますから、それぞれの状況や背景を参照し合いながら、進めています。そういう意味では、グループ内でのギャップがポジティブに働いています。

――各国での取り組みには具体的にどのような違いがありますか?

福地 役員レベルでカミングアウトしてる人が、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアは大勢います。でもアジアではほんの数人です。

川田 アメリカは、当事者が声をあげて会社がロビーイングしてということを活発にやっていて、それによって激しいディスカッションが起きていくというのが特徴のようです。ヨーロッパは人権意識が高いので、そういうアプローチが求められていると感じます。我々が意識するのは、文化的に近いアジア各国です。アジアの中で、日本IBMが先進的な取り組みをできているかというと残念ながらそうでもなくて、例えば、フィリピンIBMは非常に積極的に取り組んでいます。

――フィリピンは国民の8割がカトリックですし、宗教的な忌避感もありそうですが。

川田 確かに宗教的なバックグラウンドもあるんですが、今、国としてものすごく成長していますし、フィリピン以外の海外で働いた経験がある人も多いので、新しいものに対する姿勢が柔軟だなと感じます。英語圏だというのも大きいでしょうね。

自分らしく輝いて生きることができる社会を作ることがキーワード
ニュートラルな層をどんどん取り込んでいきたい

――今後は、こうした取り組みをどのように発展させていこうとお考えですか?

川田 LGBTQ+に限らず、すべてのマイノリティが自分らしく輝いて生きることができる社会を作るというのがキーワードです。企業が社会を変えるために何ができるかを考えると、一つは同性婚の実現、そして差別禁止法の実現を支援することになると思います。進め方にはいくつかアプローチがあり、一つは正面切ってガチンコで対決して戦っていく方法でしょう。非常に心強いデータがあって、国民に同性婚を法律で認めるべきか賛否を問うと、72%が賛成と答えています(※2023年2月 朝日新聞 全国世論調査)。だとしたら、反対する人と対立するのではなくて、まず、周辺層、ニュートラルな人たちをどんどん内側に取り込んでいくということが、この分断化されようとしている社会の中でもっとも大事なアプローチかなと思っています。

福地 同性婚に関する判決が札幌、大阪、東京で出ました。さまざまな議論もあります。しかし、そういった議論がメディアに取り上げられること自体が追い風になるんじゃないかと、私はポジティブに捉えているんです。今まで見えなかったものが、どんどん見える化されていって、同性婚を実現する世論を醸成していくように感じます。問題はスピードですよね。黙っていても10年、20年経って、今の中間層が世代交代する頃には、LGBTQ+のことは何の問題にもならないような社会になるだろうとは思うんです。今、若い人たちと話すと「ダイバーシティーのセンスがない上司なんかカッコ悪い」って言いますよ(笑)。でも、日本社会はもう待っていられないんじゃないでしょうか。今、変えないと日本は、世界の中で競争力を失ってしまうのではないかと危惧しています。